今回のドラマ、何見てますか?
私は、1回見たのはいくつかありますが、欠かさず見ている物は、『眠れる森』1本。もちろん、大好きな拓哉さまが出ているからですが、拓哉様出演作品の中でも、今回のは好きですねえ、脚本が。
「ロンバケ」「協奏曲」「ギフト」「ラブジェネ」、最近の拓哉さまのドラマはもちろん全部見ていますが、私、脚本に結構好き嫌いが激しいのです。ドラマ自体の好き嫌いじゃないですよ。脚本のね。例えば、ロンバケはまあまあ好き。協奏曲は嫌い。ギフトは好き。ラブジェネは大嫌い。基準は、実社会に、或いは、現実に近いかどうか。でも、何もかもリアルかどうかってことじゃ、ありません。
テーマや、毎回起こるアクシデントみたいなものは、ドラマだから、非現実的でもOK。でも譲れないのは、登場人物一人一人の、時計の回り方のこと。
人の時間って、遊園地のコーヒーカップみたいなもののはず。それぞれの時間は、それぞれで色々な向きに回っていて、他の人の時間と、たまに接点を持つ。コーヒーカップでぐるぐる回っていると、何回か隣のカップの人とすご〜〜く近くで擦れ違う。カップ自体もくっついたり離れたり、下も回っているから遠くなったり近づいたりも。また違うカップの人とも、くっついたり離れたり・・・。人の時間もそうなっているはずなんですよね。
例えば、AさんとBさんが一緒に食事をしたとするでしょう?そのひとときは、2人で共有している。でも、それって、本当は、Aさんの時間とBさんの時間が、ほんのひととき一緒になっただけなんですよね。その前も後も、別々の時間軸を過ごすわけだから。
でも、下手な脚本のドラマは、競馬のゲートが一斉に開いた時のように、出演者の時間軸が動いていく。ベタに一斉に、平行にね。時間だけじゃない。人の考えることも、アクシデントに対する処理の仕方も、思考が一つのベクトル。一応、表面的には『思い違い』とか『価値観の違い』なんてのもセリフに入ってはいるものの、ベクトルが一緒だから、『作り物のアクシデント』感が否めない。特にこのドラマは、なんて言いたくないけど、哲平と理子の喧嘩なんて、そんな感じまるだしだったよね。
視聴者は、ドラマの中の出来事を、ものすごく客観的に見ているわけだから、ようは、コーヒーカップの柵の外の観客。普段自分が乗っているコーヒーカップと動きが違うものを見せられると、すぐに、気がついちゃう。
うまい脚本には、その辺の、コーヒーカップな時間軸のどうしようもなさと、人の思考のベクトルのバラつきが折り込まれているんですよね。今回の野沢尚さんの脚本には、そのへんの力を感じちゃう。中山美穂の行動は納得できるけど、木村拓哉の動きは読めないし、時間軸も、視聴者には想像できないところに存在感がある。2ショットの中山美穂と木村拓哉がいても、それぞれ別々のコーヒーカップの動きを想像させるのです。
拓哉様以外のキャスティング、出演者の演技力については、また別の話ですが、『眠れる森』、脚本は好きですねえ。来週も楽しみですう!!